福岡高等裁判所 平成9年(ネ)347号 判決 1998年2月05日
控訴人(原告) 扶桑チップ工業株式会社
右代表者代表取締役 A
右訴訟代理人弁護士 有岡利夫
同 中山茂宣
同 杉田邦彦
同 酒井辰馬
被控訴人(被告) 株式会社長崎銀行
右代表者代表取締役 B
右訴訟代理人弁護士 森竹彦
右訴訟復代理人弁護士 菅藤浩三
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人は控訴人に対し、一五〇〇万円及びこれに対する平成八年五月一五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
第二事案の概要
一 本件は、手形貸付けに際して振り出され、その後、多数回にわたって書き替えられた約束手形の振出名義人(控訴人)が、その決済として合計一五〇〇万円の支払を受けた銀行(被控訴人)に対し、右手形貸付け及び当初の約束手形の振出しは控訴人の取締役が自ら又は第三者の利益を図る目的でその権限がないのにこれを行ったものであり、被控訴人の右決済金の受領は不当利得に当たると主張して、その返還と遅延損害金の支払を求める事案である。
二 争いのない事実及び証拠上容易に認められる事実
1 控訴人は、昭和六一年一〇月三〇日、被控訴人との間で、相互銀行取引契約を締結し、以降、手形割引等の取引を開始した。<証拠省略>
2 控訴人の取締役であった訴外C(以下「C」という。)は、控訴人のためにすることを示し、被控訴人から設定を受けた一五〇〇万円の手形貸付枠(以下「本件手形貸付枠」という。)内の取引として、被控訴人から、昭和六三年三月二九日一〇〇〇万円、同年五月三一日五〇〇万円をそれぞれ借り受けるとともに、被控訴人に対し、それぞれ、その支払確保のため、右各金額と同金額のいずれも控訴人振出名義の約束手形各一通(以下「本件当初の各手形」という。)を交付した(以下、右各借受けをそれぞれ「本件一〇〇〇万円の借受け」、「本件五〇〇万円の借受け」といい、その借受金を併せて「本件借受金」といい、いわゆる手形貸付けとしての右各金銭消費貸借契約を併せて「本件各手形貸付」又は「本件手形貸付」という。)。
(争いがない。)
3 その後、本件当初の各手形は、別紙「扶桑チップ関係手形貸付・書き替え経過表」のとおり、それぞれ一八回にわたり手形書替えが行われた。
(争いがない。)
4 控訴人は、平成四年四月二七日、被控訴人に対し、同年二月二八日に書き替えられた約束手形(以下「本件最後の各書替手形」という。)の手形決済として、合計一五〇〇万円を支払った。
(争いがない。)
三 争点
1 本件各手形貸付は、Cが自己又は第三者の利益を図る目的で行ったものかどうか。
(控訴人の主張)
本件各手形貸付は、Cが、控訴人のためではなく、自己又は第三者の利益を図るために行ったものである。
2 Cに、本件各手形貸付を行う代理権があったかどうか。
(被控訴人の主張)
控訴人は、本件各手形貸付に先立って、Cに対し、被控訴人と銀行取引を行うべき包括的な代理権を授与しており、本件各手形貸付の代理権もこれに含まれていた。
3 仮に、Cに本件各手形貸付を行う代理権がなかったとして、本件各手形貸付について表見代理が成立するかどうか。
(被控訴人の主張)
Cは、少なくとも後記手形割引枠内での手形割引を実行する権限を有していたところ、被控訴人は、本件各手形貸付についてもCがその代理権を有するものと信じてこれに応じたものであって、次のとおりの正当事由が存するから、Cによる本件各手形貸付については、右手形割引を行なう代理権を基本代理権とする表見代理が成立する。
(一) Cは、かつて控訴人の代表取締役であったD(以下「訴外D」という。)の子であり、経理を任されていたが、訴外Dの死亡(昭和五七年)後に取締役に就任し、本件手形貸付当時の代表取締役である訴外E(以下「訴外E」という。)が代表取締役に就任した昭和六一年以降も経理担当の取締役の地位にあった。
(二) Cは、昭和六一年以降、被控訴人との間で、手形割引枠の設定及びこれに基づく取引、割引金利の引下げ、証書貸付け(昭和六二年に行った一二〇〇万円の借入れ)などの交渉を、ほとんど単独で行っていた。
(三) Cは、本件各手形貸付に当たり、被控訴人の担当者に対し、本件各手形貸付は控訴人の短期的な資金需要に備えるためのものである旨の説明等をして、被控訴人にその旨信用させた。
4 仮に、本件各手形貸付が、Cにおいて自己又は第三者の利益を図るために行ったものであるとしても、被控訴人が、右Cの意図を知り又は知り得べき事情にあったかどうか。
(控訴人の主張)
次のとおりの事情に照らすと、被控訴人は、Cが自己又は第三者の利益を図るために本件各手形貸付を行ったものであることを知っていたか、又はこれを知り得たものというべきである。
(一) 控訴人が被控訴人から融資を受ける場合、その借受金は、かつては、控訴人の預金口座(普通又は当座預金口座)に振り込ませる方法によっていたのに、本件各手形貸付に限り、Cが直接その交付を受けている。
(二) Cは、前記手形書替えの際、これに要する利息等の支払を、控訴人を介さず、自らの所持金をもって行っている。
(三) 本件各手形貸付の際にCから提出された書類等に顕出された控訴人名の印影は、控訴人が被控訴人との取引のためあらかじめ届け出ていた印鑑を顕出した印章(以下「本件届出印」という。)によって顕出されたものではない。
(四) Cは、本件手形貸付のうち本件五〇〇万円の借受けをする前の昭和六三年四月一三日、本件手形貸付枠を利用して、控訴人のものと関係がないことが明らかな五〇〇万円の手形貸付けを受け、その借受金を第三者である株式会社オフィスサーティワンに振り込んでいる。
第三証拠
証拠関係は、原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。
第四争点に対する判断
一 争点1(本件各手形貸付におけるCの意図)について
<証拠省略>及び弁論の全趣旨によると、Cは、本件手形貸付による各借受金をいったん別段預金として入金しながら、即日、自らその払戻しを受けていること、本件当初の各手形は、前記のとおり多数回にわたって手形書替えが繰り返されたが、その書替手形のうち、少なくとも平成二年一二月三一日までに振り出されたものはいずれもC自身がその書替手続を行ったものであり、また、各書替えの際C自らがその所持金をもって利息等の支払をしていること等の事実が認められ、これらの事実にCが本件借受金を控訴人に対して返還し、またそのために使用した形跡すらうかがわれないことをも考慮すると、本件手形貸付は、Cが自己又は第三者の利益を図る目的で行ったものと認められる。
二 争点2(Cの代理権の有無)及び同3(表見代理の成否)について
1 前記認定の事実(争いのない事実を含む)に証拠(各項の末尾に掲記)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
(一) 控訴人は、木材チップの製造、販売を業とする会社であるところ、昭和五七年当時Cの父である訴外Dが代表取締役に就任していたが、Cは、経理を担当し、訴外Dが死亡した後の昭和五八年七月、取締役に就任した。その後、Cの大学時代の先輩である訴外Eが控訴人の株式を買い取り、昭和六一年九月代表取締役に就任したものの、Cも引き続き取締役に就任した。
<証拠省略>
(二) 被控訴人は、定期預金の受入れ、資金の貸付け等を業とする会社(銀行)であるが、その福岡支店は、昭和六一年一〇月三〇日、控訴人との間で、相互銀行取引契約を締結した上、控訴人のため三〇〇〇万円の手形割引枠を設定し、取引(商業手形の割引)を開始した。
<証拠省略>
(三) 控訴人は、昭和六一年一〇月三〇日から平成三年一二月末ころまで、被控訴人との間で右手形割引による取引を続ける一方、これとは別に、手形貸付けや証書貸付け等の取引をも行い、本件手形貸付の前にも、昭和六二年五月三〇日、一二〇〇万円(証書貸付け)、同年一〇月三一日、一〇〇〇万円(手形貸付け)をそれぞれ被控訴人から借り受けている。
<証拠省略>
(四) 控訴人の被控訴人との右取引は、代表者である訴外Eがこれに当たるとともに、Cも、頻繁に前記南福岡支店を訪れて前記手形割引の申込み等を行なったほか、昭和六二年三月及び同年八月ころ、二度にわたり、被控訴人に対し、控訴人のため手形割引料率を引き下げるよう求め、さらに前記(三)の一二〇〇万円の証書貸付けの際には、その申込書に控訴人名等所定の事項を自ら手書きするなどしてその申込手続を行った。
<証拠省略>
(五) Cは、本件手形貸付による各借受金をいずれもいったん別段預金として入金した上、その払戻しを受けたが、右借受けの申込みと同時に提出した右別段預金の払戻請求書の請求者欄には、控訴人の社判とともに届出印が押されていた。
<証拠省略>
(六) 本件各手形貸付の際振り出された本件当初の各手形は、その後、それぞれ一八回にわたり手形書替えが行われたものの、少なくとも平成二年一二月三一日に書き替えられた二通の約束手形(以下「平成二年一二月三一日付け書替手形」という。)の振出人欄の印影は届出印によって顕出されたものではなかった。
(当事者間に争いがない。)
(七) Cは、平成三年七月五日付けをもって取締役を辞任し、控訴人は、平成四年四月二七日、被控訴人に対し、本件最後の各書替手形の決済等として、合計三億五〇〇〇万円を支払った。
<証拠省略>
(八) その後、訴外Eは、平成二年一二月三一日付け書替手形の振出人欄の印影が届出印によって顕出されたものではないことを発見したほか、被控訴人が発行した残高証明書に本件各手形貸付による借受金債務が含まれていなかったことから、本件各手形貸付の効力を疑い、平成八年五月九日、本件訴訟を提起するに至った。
<証拠省略>
2 以上の認定事実に照らすと、Cは、控訴人から少なくとも前記手形割引枠の範囲内で被控訴人と取引(商業手形の割引)をする権限(代理権)を授与されていたものと認めるのが相当である。これに加えて、本件手形貸付に至るまで、Cが実際にも頻繁に右手形割引の申込み等をした上、控訴人のため、二度にわたり手形割引料率引下げの交渉を行い、また、その単独の申込みにより被控訴人から一二〇〇万円の融資(証書貸付け)を受けていること、前記のとおり、本件各手形貸付の申込みと同時に提出された別段預金の払戻請求書に顕出された印影が届出印によるものであることから本件各手形貸付の際に被控訴人に交付された本件当初の各手形等に顕出された控訴人の印影も届出印によるものである可能性が高いものと推認できること等の事情をも併せて考慮すると、仮に、Cに対して本件手形貸付を行なうべき代理権が授与されていなかったとしても、被控訴人は、Cに右代理権があるものと信じ、かつ、そのように信じたことについて正当な理由があるものというべきであり、この点の被控訴人の主張は理由がある。
三 争点4(被控訴人においてCの意図を知り得べき事情の有無)について
前記認定事実をかれこれ勘案すると、被控訴人は、Cが自己又は第三者の利益を図る目的で本件各手形貸付をしたものであることについて、これを知り又は知り得べき立場にあったということもできない。
この点、控訴人は、控訴人が被控訴人から融資を受ける場合、その借受金は、かつては、控訴人の預金口座に振り込ませる方法によっていたにもかかわらず、本件手形貸付に限り、Cが直接その交付を受けており、被控訴人は、Cの意図を知り得べきであった旨主張する。なるほど、本件手形貸付による各借受金は、Cがこれをいったん別段預金にした上その払戻しを受けていることは前記のとおりであるが、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によると、本件手形貸付前の昭和六二年一〇月三一日に個別取引として行われた前記一〇〇〇万円の手形貸付けによる借受金も、いったん別段預金として入金された上払い戻されており、また、本件手形貸付後の取引にも、同様の方法がとられたものがあることが認められるから、右主張は採用することができない。
また、控訴人は、Cが、前記手形書替えの際、控訴人を介さず自らその所持金をもって利息の支払等をしている点を問題にするが、本件手形貸付後の事情にすぎず、失当である。なお、被控訴人が、本件手形貸付後に、Cの意図を知り得ても、これによって、本件手形貸付の効力が左右されるものでないことはいうまでもない。
さらに、控訴人は、本件各手形貸付の際にCから提出された書類等に顕出された控訴人の印影は、届出印によるものではない旨主張する。確かに、平成二年一二月三一日付け書替手形については、そのとおりである(この点、当事者間に争いがない。)ものの、そのことからそれ以前に書き替えられた本件当初の各手形等に顕出された印影が、届出印によるものでないことまでも推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない(控訴人は、手形書替えにより、本件当初の各手形の返還を受けたものと考えられるが、その証拠としての提出はない。)。却って、前記認定のとおり、本件各手形貸付の際に提出された別段預金の払戻請求書に顕出された控訴人の印影が、いずれも届出印によるものであることからすると、本件当初の各手形に顕出された控訴人名の印影も届出印によるものである可能性が高いものといえる。
また、控訴人は、Cが、本件五〇〇万円の借受け前の昭和六三年四月一三日、本件手形貸付枠を利用して、被控訴人から五〇〇万円の手形貸付けを受けているところ、これが自己又は第三者の利益を図る目的のためのものであることが明らかであるから、本件各手形貸付けも同様の意図に出たものであることが明らかである旨主張する。確かに、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によると、Cが控訴人主張の手形貸付けを受けているところ、その際提出された別段預金の払戻請求書(乙六一号証の二)の請求者欄には、Cの手書きによる控訴人名が記載され、控訴人の印が押されていないこと、また、その借受金が株式会社オフィスサーティワンに振り込まれていることが認められる。しかし、本件手形貸付前の一二〇〇万円の証書貸付けの際にも、その申込書にCの手書きによる控訴人名等が記載されていたことは前記のとおりである上、<証拠省略>によると、前記商業手形の割引の際の申込書にも、社判によらず手書きで控訴人名が記載されたものがあるほか、控訴人の届出印が押されていないものがあることが認められる。右事実にCが前記のとおり控訴人のため被控訴人と取引を行ってきた経緯をも考慮すると、乙六一号証の二の請求者欄の記載等をもって、前記昭和六三年四月一三日の手形貸付けにおけるCの意図を知り得べきものということはできず、まして本件一〇〇〇万円の借受けはもとより、本件五〇〇万円の借受けにおける同人の意図を知り得べきものということはできない。
なお、控訴人は、被控訴人による控訴人との取引についての残高証明書には、本件手形貸付に係る債務が記載されていないが、これは被控訴人において本件各手形貸付についてのCの意図を知っていたことの証左である旨をも主張し、右残高証明書を証拠(甲九号証の一ないし四)として提出する。しかしながら、右残高証明は、本件各手形貸付後の事情に関するものであるのみならず、<証拠省略>によると、被控訴人など金融機関の発行する残高証明書は、顧客との(銀行)取引のうち、顧客から証明依頼のあった科目及び口座に関するものに限ってその対象とする場合があることが認められるところ、右残高証明書がいかなる経緯で発行されたものであるかについての立証はなく、これをもって被控訴人が本件各手形貸付についてのCの意図を知っていたことの認定資料とすることもできない。
そうしてみると、控訴人の主張はいずれもにわかには採用しがたく、本件各手形貸付を無効とすべき理由もない。
四 以上の次第で、控訴人の本件請求は理由がないから棄却すべきところ、これと同旨の原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用について、民訴法六七条、六一条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 山口忍 裁判官 西謙二 裁判官宮良允通は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 山口忍)
<以下省略>